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            第一 対[句]の章 
YAMAKA VAGGA(THE TWIN VERSES)
        
【6偈~10偈】
第6偈
[偈]
       
            6. 愚かな
            者
            は、われわれが、この
            世で
            死ぬべき
            存在である、という
            事実
            を
            知らない。[
            賢い]
            人々は、これをよく
            知るので
            争いは
            止
            む。
            
        
        [パーリ語]
        Pare ca na vijānanti   /   mayamettha yamāmase
        Ye ca tattha vijānanti   /   tato sammanti medhagā
            [英語]
            The others(fools) never realize that all of us here must one day die. 
            But those (the wise) who realize it, then their quarrels are appeased.
            [因縁物語]
            ※コサンビー(Kosambī)という町に二つの比丘たちのグ
            ループがあり、一つはサンガ(最高の悟りを得るために修行する比丘たちの集団)の中で「持律師」を中心とするグループであり、もう一つは「説法師」を中心とするグループであった。
            この二つのグループは、しばしばお互いの主義主張を繰り返していた。そして、ささいな喧嘩から、やがて、大きな騒ぎとなり、一部の比丘たちは仏陀の忠告さえも聞かなくなった。
            そこで仏陀は、静かにこの町を去り、森の中で雨の季節を過ごされた。町の信者たちは、仏陀が町を去ったことを知り、たいへん失望した。そして、町に居残っている比丘たちに対して、以前のように食事をはじめいろいろな施しを一切しなくなったのである。そのために、多くの比丘たちは、たいへんひもじい思いをして雨の季節を過ごした。
            やがて、雨季も終わりかけた頃、アーナンダ(Ānanda)尊者と五百人の比丘は、森におられる仏陀を訪ね、これまでのことを詫び、そして、ぜひ町へ戻っていただきたいというアナータピンディカ(Anāthapiṇḍika)長者をはじめほかの信者たちの声を伝えた。
            町に戻られた仏陀は、比丘たちを穏やかに叱ったのである。
            
(第6偈の因縁物語) 
        
Pare ca na vijānanti / mayamettha yamāmase
Ye ca tattha vijānanti / tato sammanti medhagā
The others(fools) never realize that all of us here must one day die.
But those (the wise) who realize it, then their quarrels are appeased.
※コサンビー(Kosambī)という町に二つの比丘たちのグ ループがあり、一つはサンガ(最高の悟りを得るために修行する比丘たちの集団)の中で「持律師」を中心とするグループであり、もう一つは「説法師」を中心とするグループであった。 この二つのグループは、しばしばお互いの主義主張を繰り返していた。そして、ささいな喧嘩から、やがて、大きな騒ぎとなり、一部の比丘たちは仏陀の忠告さえも聞かなくなった。 そこで仏陀は、静かにこの町を去り、森の中で雨の季節を過ごされた。町の信者たちは、仏陀が町を去ったことを知り、たいへん失望した。そして、町に居残っている比丘たちに対して、以前のように食事をはじめいろいろな施しを一切しなくなったのである。そのために、多くの比丘たちは、たいへんひもじい思いをして雨の季節を過ごした。 やがて、雨季も終わりかけた頃、アーナンダ(Ānanda)尊者と五百人の比丘は、森におられる仏陀を訪ね、これまでのことを詫び、そして、ぜひ町へ戻っていただきたいというアナータピンディカ(Anāthapiṇḍika)長者をはじめほかの信者たちの声を伝えた。 町に戻られた仏陀は、比丘たちを穏やかに叱ったのである。
(第6偈の因縁物語)
第7・8偈
[偈]
       
                7. この
                身
                は清浄
                であると随観し続け、
                感覚器官を
                抑制せず、
                食べ物において
                適度を知らず、
                怠堕であって
                精進のない人、
                実にその人を[煩悩の]
                悪魔が征服すること、
                あたかも風が
                弱った樹
                を倒すがごとくである。
            
            [パーリ語]
            Subhānupassiṁ viharantaṁ  /  indriyesu asaṁvutaṁ
            Bhojanamhi cāmattaññuṁ   /   kusītaṁ hīnavīrīyaṁ
            Taṁ ve pasahati Māro   /   vāto rukkhaṁva dubbalaṁ
            
                [英語]
                Whoever lives contemplating pleasant things, with unrestained senses,
 
                immoderate in food, indolent, inactive, Mara surely overthrows him
 
                as easily as the gale(overthrows) a weak tree.
            
            
[偈]
       
                8. この
                身
                は不浄
                であると随観し続け、
                感覚器官を
                抑制し、
                食べ物において
                適度を知り、
                信仰をもち、
                精進のある人、
                実にその人を[煩悩の]
                悪魔が征服することはできない。
                ちょうど強風が
                岩山
                を倒すことができないように。
            
            [パーリ語]
            Asubhānupassiṁ viharantaṁ  /  indriyesu susaṁvutaṁ
            Bhojanamhi cā mattaññuṁ   /  saddhaṁ āraddhavīriyaṁ
            Taṁ ve nappasahati Māro   /   vāto selaṁva pabbataṁ
            
                [英語]
                Whoever lives contemplating the bodily impurities, with
                senses restrained, moderate in food, steady in effort and faith,
                Mara does not overthrow him as the gale (does not overthrow)
                a rocky mountain.
            
            ※①:随観(anupassssī)とは、次から次へと間断なく観ずること。
            ※②:眼・耳・鼻・舌・身・意の六根という感覚器官。
            
                [因縁物語]
                ※ある日、行商の途中で、兄マハーカーラ(Mahākāla)は
                弟チューラカーラ(Cūlakāla)に荷物の番をさせ、仏陀の説法を聞きに行った。
                そして、兄は自分の信仰心から出家したいと弟に告げ、仏陀の下で出家した。弟は、兄を還俗させることを考えて出家した。信仰心の少ない弟のチューラカーラは、瞑想中でも常に世俗的な楽しみを求め、やがて、別れた妻の誘惑に負けてサンガを去った。
                深い信仰心をもつ兄の比丘マハーカーラは、墓場での修行に励み、努力して最高の悟りである阿羅漢果を得た。
                やがて、別れた妻が、阿羅漢となった比丘マハーカーラを誘惑し還俗させようと試みたが失敗に終わった。
                
(第7・8偈の因縁物語) 
            
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