ダンマパダこころの清流を求めて

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第一 対[句]の章
YAMAKA VAGGA(THE TWIN VERSES)


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第7・8偈 マーハーカーラ長老

瞑想中でも常に世俗的な楽しみを求めた弟、深い信仰心で墓場での修行に励んだ兄

[偈: Gāthā]
7. この 清浄せいじょう であると随観ずいかん①つづけ、 感覚かんかく器官きかん②抑制よくせいせず、 ものにおいて 適度てきどらず、 怠堕たいだであって 精進しょうじんのないひとじつにそのひとを[煩悩ぼんのうの] 悪魔あくま征服せいふくすること、 あたかもかぜよわったたおすがごとくである。

[パーリ語: Pali]
Subhānupassiṁ viharantaṁ / indriyesu asaṁvutaṁ
Bhojanamhi cāmattaññuṁ / kusītaṁ hīnavīrīyaṁ
Taṁ ve pasahati Māro / vāto rukkhaṁva dubbalaṁ

[英語: English]
Whoever lives contemplating pleasant things, with unrestained senses, immoderate in food, indolent, inactive, Mara surely overthrows him as easily as the gale(overthrows) a weak tree.

[偈: Gāthā]
8. この 不浄ふじょう であると随観ずいかんつづけ、 感覚かんかく器官きかん抑制よくせいし、 ものにおいて 適度てきどり、 信仰しんこうをもち、 精進しょうじんのあるひとじつにそのひとを[煩悩ぼんのうの] 悪魔マーラ征服せいふくすることはできない。 ちょうど強風きょうふう岩山いわやまたおすことができないように。

[パーリ語: Pali]
Asubhānupassiṁ viharantaṁ / indriyesu susaṁvutaṁ
Bhojanamhi cā mattaññuṁ / saddhaṁ āraddhavīriyaṁ
Taṁ ve nappasahati Māro / vāto selaṁva pabbataṁ

[英語: English]
Whoever lives contemplating the bodily impurities, with senses restrained, moderate in food, steady in effort and faith, Mara does not overthrow him as the gale (does not overthrow) a rocky mountain.

※①:随観(anupassssī)とは、次から次へと間断なく観ずること。

※②:眼・耳・鼻・舌・身・意の六根という感覚器官。

[因縁物語: Story]
※ある日、行商の途中で、兄マハーカーラ(Mahākāla)は 弟チューラカーラ(Cūlakāla)に荷物の番をさせ、仏陀の説法を聞きに行った。 そして、兄は自分の信仰心から出家したいと弟に告げ、仏陀の下で出家した。

弟は、兄を還俗させることを考えて出家した。信仰心の少ない弟のチューラカーラは、 瞑想中でも常に世俗的な楽しみを求め、やがて、別れた妻の誘惑に負けてサンガを去った。

深い信仰心をもつ兄の比丘マハーカーラは、墓場での修行に励み、努力して最高の悟りである阿羅漢果を得た。 やがて、別れた妻が、阿羅漢となった比丘マハーカーラを誘惑し還俗させようと試みたが失敗に終わった。
(第7・8偈の因縁物語)





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