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第二 不放逸の章
APPAMĀDA VAGGA(HEEDFULNESS)
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第21・22・23偈
サーマヴァーティー
「放逸なる者は百年生きても死んだ者、不放逸なる者はたとえ死んでも・・・」
[偈: Gāthā]
21. 不
放
逸
こそ、不死
の道
なり。放
逸
こそ、死
の道
なり。不
放
逸
の人
は、死
ぬことはない。
放
逸
の人
は、生
きているのに、すでに死
んでい
るようなものであると言
われる。
[パーリ語: Pali]
Appamādo amatapadaṁ / pamādo maccuno padaṁ
Appamattā na mīyanti / ye pamattā yathā matā
[英語: English]
Heedfulness is the path to deathless. Heedlessness is the path to death. Those who are heedful do not die; those who are not heedful are as if already dead.
[偈: Gāthā]
22. このように その相異
を知
って不
放
逸
に到
達
し
た人
は、精進
の中
によろこびを感
じ、聖者
の
境地
である道
・果
・涅槃
を心
から楽
しむ。
[パーリ語: Pali]
Evaṁ visesato ñatvā / appamādamhi paṇditā
Appamāde pamodanti / ariyānaṁ gocare ratā.
[英語: English]
Knowing this as the difference, the wise (intent) on
heedfulness rejoice in heedfulness, delighting in the realm of the sacred.
[偈: Gāthā]
23. その賢者
たちは、[止観
の]瞑想
に励
み、
煩悩
を燃
やし尽
くし、たえず努力
奮励
して
四
つの束縛
を遮断
し無上
の涅槃
に到
達
する。
[パーリ語: Pali]
Te jhāyino sātatikā / niccaṁ daḷhaparakkamā
Phusanti dhīrā nibbānaṁ / yogakkhemaṁ anuttaraṁ.
[英語: English]
The wise constantly meditative, the ever steadfast ones realize the bond –free, supreme Nibbana.
[因縁物語: Story]
※昔、仏陀に結婚を申し込み、断られたことのある美し
い女性の娘マーガンディヤー(Māgandiyā)は、それを逆恨みして、いつか仏陀に復讐することを誓っていた。
やがて、王に認められ王妃に
なった彼女は、仏陀に帰依し、悟りへの第一段階である預流果(Sotāpanna)を
得ている同じ王妃のサーマーヴァティー(Sāmāvatī)
に強いライバル意識を持った。
マーガンディヤーは、この王妃を陥れるためにいろいろな奸計をめぐらしたが、
ことごとく失敗に終わった。
業を煮やしたマーガンディヤーは、ついに強硬手段にでてサーマーヴァティー王妃を火あぶりにしたのである。
この悲惨な事件を知った王は、もっと残忍な方法でマーガンディヤ王妃を処刑した。
比丘たちは、二人の王妃のうちどちらが本当の人生を生きたのか仏陀にたずねた。
仏陀は、放逸なる者は百年生きても死んだ者であり、不放逸なる者は、たとえ死んでも生きている。
故に、マーガンディヤーは、たとえ長生きしても死んだ者であり、
逆に、サーマーヴァティー王妃は、死んでも生きている
と説かれたのである。
(第21・22・23偈の因縁物語)
※①「道」とは、煩悩に打ち勝ち、それを捨断して涅槃
を実現する心。悟りの四段階にある各段階の「壁」を打ち破ったその一瞬の心。預流向・一来向・不還向・阿羅漢向。
※②「果」とは、「道」の後で、繰り返し涅槃の静けさ
を味わう心。預流果・一来果・不還果・阿羅漢果。
※「預流(よる)」(Sotāpanna)とは、悟りの第一段
階のことであり、聖者の仲間入りをした初歩の聖者をいう。
この聖者は、欲界に多くとも七度生まれ、その後は、最高位の阿羅漢まで到達する。
邪見(有身見:この心と体は自分のものと思うこと)、
習慣的儀礼的行為への執着、疑い(仏・法・僧の三宝及び業・因果・修行法に対する疑い)などを断つ。
※「一来(いちらい)」(Sakadāgāmi)とは、悟りの第
二段階のことであり、一度だけ欲界に戻り来て、
その後は、上二界(色界・無色界)を経て阿羅漢の悟りに到達する。
怒り・愛欲の貪り・色界への貪り・無色界への貪り・心の浮つき・無明などの残りの煩悩を薄める。
※「不還(ふげん)」(Anāgāmi)とは、悟りの第三段階の
ことであり、愛欲と怒りを完全に捨断しているので、もは
や欲界に生まれ変わることはない。
しかし、色界と無色界への欲望だけがまだ残っているために上二界に生まれ変わる。
※「阿羅漢(あらかん)」(Arahaṁ)とは、悟りの第四
段階のことであり、残りの煩悩(色界への貪り、無色界への貪り、高慢、心の浮つき、無明)を捨断した漏尽者であり、
輪廻から解脱した、供養尊敬を受けるべき聖者の中で最上の聖者である。
※③「涅槃」(Nibbāna)とは、煩悩の火が吹き消され
た(生・老・病・死のない)完全な幸福をいう。
※④「止」とは、何かの概念的対象に心を集中させるこ
と。「観」とは、心身現象の無常(Anicca)・苦(Dukkha)・無我(Anattan)を直観すること。
「止」が「観」を助け、「観」なしでは解脱はあり得ない。
Aniccā vata saṁkhārā(諸行は、実に無常である)
Sabbe Saṅkhārā aniccā(一切法は、無常なり)
Dukkha vata samkhārā(諸行は、実に苦しみである)
Sabbe sanbhārā dukkhā(一切行は、苦なり)
Anatta vata saṁkhārā(諸行は、実に無我である)
Sabbe dhammā anattā(一切行は、無我なり)
※この①②③④は「南方仏教基本聖典」(ウ・ウェープ
ラ著)「南方上座部仏教の教え」(ウージョターランカーラ著)にくわしく記載されている。
※⑤:束縛(Yoga)とは、人々を輪廻に沈め、結びつ
けておくもの。
(1)欲愛(Kama)、(2)生存(Bhava)、(3)邪見(Diṭṭhi)、(4)無明(Avijjā)という束縛がある。
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