ダンマパダこころの清流を求めて

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第三 心の章
CITTA VAGGA(MIND)


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第40偈 五百人の比丘

仏陀は「出発の際、一人ひとりに武器を授ける」と皆を安心させた。 「一体どんな武器をくださるのか」と楽しみにしながら比丘たちは朝を迎えた

【偈:Gatha】
40. この身(み)は、水瓶(みずがめ)のようにこわれやすいものであ ると知(し)り、この心(こころ)を城(しろ)のように防備(ぼうび)し固(かた)めよ、 智恵(ちえ)を武器(ぶき)として、[煩悩(ぼんのう)という]悪魔(マーラ)と戦(たたか)え。 勝(か)ちとった[勝利(しょうり)を]守(まも)り、新(あら)たな執着(しゅうちゃく)をもた ず、よくこころを調(ととの)えよ。

【パーリ語:Pali】
Kumbhūpamaṁ kāyamimaṁ viditvā / nagarūpamaṁ cittamidaṁ thapetva
Yodetha māraṁ paññāvudhena / jitañca rakkhe anivesano siyā

【英語:English】
Realizing that this body is (as fragile) as a jar, establishing this mind ( as firm) as a (fortified) city, He should attack Mara with the weapon of wisdom. He should guard his conquest and be without attachment.


【因縁物語】

※五百人の比丘たちが、悟りを求めて長い修行の旅を していた。やっとのことである村に到着した比丘たちは、 村の人々からいろいろな施しを受け、瞑想にふさわしい森を教えてもらった。

早速、五百人の比丘たちはその森に出かけ、瞑想をはじめた。 しかし、その時から比丘たちの前に気持ちの悪い事件が続発した。

夜、比丘たちが木の下で瞑想していると、突然、首だけが闇夜に浮いていたり、 又、別の夜、首のない体が森を駆けたりするなど比丘たちの心を惑わし、怖がらせた。

これでは瞑想どころではないと判断した比丘たちは、いそいそと森を後にして仏陀のところに戻って来た。

これは以前からこの森に住んでいる鬼神の仕業であった。 鬼神たちは、黄色い奇妙な服装をしたこの比丘の集団を森から追い出すために、 いろいろなトリックをして彼らを脅かしたのである。

比丘たちの報告を聞き終えた仏陀は、「明日の朝、再びその森へ出発するように」と言われた。

一同、びっくりして「あんな怖い所へ二度と行きたくありません」と嫌がった。

仏陀は「出発の際、一人ひとりに武器を授ける」と皆を安心させた。

「一体どんな武器をくださるのか」と楽しみにしながら比丘たちは朝を迎えた。

仏陀は、全員に「慈経」(Metta sutta)(注①)というお経を授けた。

このお経は《・・・他の賢者たちから非難されるような下劣なことを決して行ってはならない。 一切の生き物は幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ。》などが説かれていた。

五百人の比丘たちは、このお経を唱えながら森の中に静かに入って行った。

森の鬼神たちはこのお経の教えを聞いて、比丘たちに対する誤解を解いた。

そして、鬼神たちは、比丘たちを信頼するようになり、平和な森の生活がはじまった。

比丘たちは、おかげで瞑想に集中することが出来、次から次へと悟りを得たのである。
(第40偈の因縁物語)

※注①「慈経」(Karanīya metta sutta).

Karaṇīya-mattha kusalena-yantaṃ santaṃ padaṃ abhisamecca;
Sakko ujū ca sūjū ca-suvaco c'assa mudu anatimānī.

このお経の徳をうけるには、修業する能力があり、(身・語は)正しく、 心と静寂なる涅槃を直観して、さらに、率直で忠告をすなおに受け入れ、 柔和で高慢であってはならない。

Santussako ca subharo ca-appa kicco ca salla huka vutti;
Santindriyo ca nipako ca - appagabbho kulesu ananugiddho.

小欲知足であり、[信者の人が]養い易く、雑務が少なく、 生活は簡素であり、諸々の感覚は静まり、深い思慮があり、 (身・語・意において)粗暴なく、信者の人々にたいして貪欲を起こしてはならない。

Na ca khuddaṃ samācarē kiñci-yena viññū pare upavadeyyuṃ;
Sukhino vā khemino hontu - Sabbe sattā bhavantu sukhitattā.

他の賢者たちから非難されるような下劣なことを決してしてはならない。 生きとし生けるものは幸福であれ。安泰であれ。安楽であれ。

Yēkēci pāṇa bhūt'atthi - tasā vā thāvarā vā anava sesā;
Dīghā vā ye mahantā vā - majjhimā rassakā aṇuka_thūlā.

  臆病なもの、強いもの、長いもの、大きいもの、中くらいのもの、 短いもの、微細のもの(貝や亀など)平たいもの、見たことのあるもの、 見たことのないもの、遠くに住むもの、近くに住むもの、すでに生まれたもの、 これから生まれようとするもの、生きとし生けるもの全てが安楽であれ。

Na paro paraṃ nikubbetha-nāti maññetha katthaci naṃ kañci;
Byārosanā paṭigha saññā - nāññā - maññassa dukkha miccheyya.

どんな場合でも人をだますな。人を軽んじるな。 身・語の悪害や怒りによってお互い他人の苦しみを願ってはならない。

Mātā yathā niyaṃ puttaṃ - āyusā eka puttam anurakkhe;
Evam pi sabba bhūtesu - mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ.

母親が自分の子を命をかけて守るように、 生きとし生けるもの全てにたいして無量の(慈しみの)心をおこせ。

Mettañ ca sabbalokasmiṃ - mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ;
Uddhaṃ adho ca tiriyañ ca - asambādhaṃ averaṃ asapattaṃ.

全ての世界にたいして、上に、下に、横に、無量の慈しみの心を広く、 (内なる)敵の恨みもなく、(外の)敵の障害もないように修行せよ。

Tiṭṭhaṃ caraṃ nisinno vā - sayāno vā yāvat'assa vigatamiddho;
Etaṃ satiṃ adhiṭṭheyya - brahma mētam vihāraṃ idham āhu.

立っていても、歩いていても、座っていても、横になっていても、 眠らない限りは、この慈しみの念をしっかり持たなければならない。 これが最高の生き方であると仏陀は説かれたのである。

Diṭṭhiñ ca anupagamma-sīlavā dassanena sampanno;
kāmesu vineyya gedhaṃ-na hi jātu gabbhaseyyaṃ punaretī ti.

この慈しみの修行を行う人は、我見にとらわれず、戒めを持ち、 知見を備え、五欲にたいする貪欲を除き、再び母胎に宿ることはないであろう。





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