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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論
(Nidānādi-kathā)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論 1/2
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【前文】
戒めの足場を[しっかり固めること]によりて智慧を有する人は、心と智慧とを修習する。
[煩悩を燃やして渇愛を取り除くことに]熱心に努力する智慧を有する比丘の彼は、
この[輪廻に縛り付ける]結縛(jaṭā,註①)を粉々に破壊して[輪廻から解脱すべき]であると、
実にそのようにこの[経典に]説かれたのである。
それでは、何故に、これが[経典に]説かれたのか? 伝えて曰く、
世尊(=仏陀)が[コーサラ国の首都である]舎衛城(Sāvatthī)に滞在されていた頃、
夜分、[天界に住む神々の]一人の神の子(=天子,devaputta)が仏陀に近ずいて来て、
自分の[抱えている]疑問を取り除き[解決する]ために[次の質問をした]、―
この[一人の神の子の]質問は[次のことを]問うのであった。
―「[生・老・病・死などの苦しみが繰り返し続く輪廻に縛り付ける]内なる結縛があり、
外なる結縛があり、[この]結縛によりて人々は[輪廻に]縛り付けられている。
ゴータマよ、それについて私は汝に質問する。
誰がこの[輪廻に縛り付ける]結縛を粉々に破壊して[輪廻から解脱することが出来る]のであろうか。」と。
この[一人の神の子の質問の]簡単な意味は[次の如くである]。
― [即ち]「結縛(jaṭā)」とは、[ちょうど、漁師の持つ細かい]網によりて[多くの魚が捕らえられるが如く]、
これは、[喉が渇いた者が激しく水を求めるような激しい欲求であり、輪廻においては人を生む母であり、人の心が迷う]
渇愛(taṇhā)の同義語である。
実にその[結縛]は、色(rūpa)などのいろいろな所縁に向かって[眼などの五欲に対する欲愛が]、
上下にいろいろとしばしば生起するものであることから「絡ませる」(saṁsibbita)という意味によりて、
[ちょうど]竹藪などの「枝の網」(sākhājāla)と称する「絡む」(jaṭā)のような結縛である。
[渇愛には、①欲愛(kāma-taṇhā):五欲に対する渇愛、②有愛(bhavataṇhā):色界・無色界に対する渇愛、
③無有愛(vibhava taṇhā):無有に対する渇愛の三種類がある]。
(※ 註:Dhp-U.p264~p265、註①「渇愛」参考)
又、その[結縛]は、自分の必需品、他人の必需品、自分の肉体、他人の身体、
[眼・耳・鼻・舌・身・意の六]内処(ajjhattikāyatana)、
[色・声・香・味・触・法の六]外処(bāhirā-āyatana)に対して、[それに愛着して]生起するものであるが故に、
「内の結縛がある、外の結縛がある」と言われる。
それらが、その如くの[渇愛から]生起し
ながら結縛によりて人々は[過去世・現在世・未来世の三界において苦しみに]縛られ[続ける]。
[即ち、この世に生まれた時から無明・渇愛の煩悩を有しているのが人間である。
又、渇愛は、十二縁起の「愛」の意味でもある。
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