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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論
(Nidānādi-kathā)



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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論 1/2
(Nidānādi-kathā)


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初心者は止・観を別々に切り離して修習するのに対して上級者はこれを一緒にさせて修習することができる]。
(※Dhp-U.p30、註⑦参考)

実にこの[詩偈]においては、心の代表によりて 禅定(=止,samādhi)が説明されている。又、智慧の名前によりて観(vipassana)が[説明されている]。

「[煩悩を燃やし尽くして渇愛を取り除くことに]熱心に努力する」(ātāpī)とは、 精進(vīriya)を有する者である。

実に精進は、[貪・瞋・痴の三毒に汚染されている]諸々の煩悩を 熱心に燃やし尽くすという意味によりて、熱心(=正勤, ātāpā)と言われる。 それを有する故に、努力(=勤)を有する人である。

「智慧者」(Nipako)とは、- [主として悟りの]智慧(nepakka)と言われる。 その[智慧]を有する者という意味である。

そして、この言葉によりて、[煩悩から離れた清浄なものに、更には苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つの聖なる真理に] 相応する智慧を示すのである。

実にこの質問の解答の中で、智慧について三回ほど説かれている。


※「四無畏」(catuvesārajja)
:①一切智者としての仏陀の自信の一切智無畏、
②一切の煩悩を滅し尽している仏陀の自信の漏尽無畏、
③煩悩や業などの諸法を説くに自在である仏陀の自信の説障道無畏、
④煩悩や苦しみを取り除くための戒学・定学・慧学などの修道を説くのに自在である仏陀の自信の説尽苦道無畏。

※「十力」(dasabala)
:①正しい道理とそうではない道理とを判別する智慧の力である処非処智力、
②善悪業とその報果とを如実に知る智慧の力である業異熟智力、
③欲界定・色界禅定・無色界禅定の有漏の世間定及び悟りの段階である 出世間の無漏定(Dhp-U.p529、「89心と禅定作用」)に熟練する智慧の力である静慮・解脱・等持・等至智力、
④有情の無貪因・無瞋因・無痴因などの優劣を如実に知る智慧である 根上下智力、
⑤有情のいろいろな意欲傾向を如実に知る智慧の力である種々勝解智力、
⑥有情が住むいろいろな世界について如実に知る智慧の力である種々界智力、
⑦どうのような修行によっていかなる道に進むかを如実に知る智慧の力である遍趣行智力、
⑧有情の過去世について正しく知る智慧の力である宿住随念智力、
⑨有情の未来世について正しく知る智慧の力である天眼智力、
⑩一切の煩悩を滅し尽すことができる智慧の力である漏尽智力(Dhp-U.p94 参考)。

※「四つの無碍(=自由自在)の智者」
:①仏陀の教え(法)に対する自由自在の智者、
②仏陀の教えの内容理解(義)に対する自由自在の智者、
③仏陀の教えの表現(詞)に対する自由自在の智者、
④仏陀の教えを人々に説く(弁)に対する自由自在の智者。
※『清浄道論』第十二品『神変の解釈』参考。

※「一切眼」
:Dhp-U.p312、註④「五種の眼」参考。


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