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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論
(Nidānādi-kathā)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論 2/2
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【三つの智慧:①生得智・②観智・③応用智】
その中で、
第一番目は生得智(jātipaññā)である。
[即ち、過去世において自ら進んで積極的に善行や修行を積み重ねた結果、
この世に生まれながらにして無貪因・無瞋因・無痴因の三因を有する智慧である(註1)]。
第二番目は観智(vipassanāpaññā)である。
[即ち、悟りの聖道作用に向かってスタートする見清浄・度疑清浄・道非道智見清浄・思惟智・
生滅智・行道智見清浄・壊滅智・怖畏智・過患智・厭離智・脱欲智・省察智・
行捨智・随順智という観察による智慧である(後記参考)]。
第三番目は一切の為すべきことに向かう応用智(sabbakicca-pariṇyikā pārihārika-paññā)である。
[即ち、正見・正精進・正念・正定によりて自分の内外の現象が無常・苦・無我であると随観する中で、
やがて第七の清浄である智見清浄(ñāṇadassana-visuddhi)によりて
悟りの各段階において苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つの聖なる真理を観察できる智慧である]。
※ 註1「三因凡夫」:Dhp-U.p4・p5、「人の種類 12種」参考
[1].
悪趣無因凡夫
悪行を重ねた結果、89心中の欲界無因不善異熟意識界(69)によって
欲界の四つの悪趣地(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅)のどれらに生まれ変わった有情。(duggati ahetuka puthujjana)
[2].
善趣無因凡夫
愚鈍な業を重ねた結果、89心中の欲界無因善異熟意識界(41)によって
欲界善趣地の一つである人間に生まれた生来の不具・白痴・非男女などの人。(sugati ahetuka puthujjana)
[3].二因凡夫
愚鈍ながら善行を行ない、89心中の欲界八有因異熟心の智不相応心(44)(45)(48)(48)の中の
随一なものによって欲界善趣地に結生した無貪因・無瞋因の人。(duhetuka puthujjana)
[4].三因凡夫
自ら進んで積極的に善行や修行を積み重ねた結果、89心中の欲界八有因異熟心の智相応心(42)(43)(46)(47)
の中の随一なものによって欲界善趣地に結生した無貪因無瞋因・無痴因の人。悟りを得る前のシッダッタ王子も三因者である。
即ち、禅定をはじめ悟りを得るための基礎条件(無貪因・無瞋因・無痴因)を具えた方である。
(tihetuka puthujjana)
しかし、三因を有して出家をしても悪行を犯せば、たちまち悪趣地に堕ちる。
【参考】「89心と死・結生心作用」
[1][2][3]の無因者・二因者は、その結生異熟が障害(vipāka-antarāya)となり、
現世において禅定も仏陀の教えを理解することも悟ることもできない。
しかし、仏陀に帰依をして修行を積み重ねれば、善業の結果(善異熟)が得られると説く。
即ち、善行を積み重ねれば、人は善趣地に輪廻転生することができる。
更に布施・持戒・仏教の学習・止観の修習などに自らすすんで精進すれば、より高いレベルの善異熟を得ることもできる。
そして三因(無貪因・無瞋因・無痴因)を有する結生異熟心によって死後、欲界善趣地に輪廻転生すれば、
その未来世において禅定を得ることも悟りを得ることも可能であると説く。
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