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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論
(Nidānādi-kathā)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論 2/2
【14~16/16ページ: 10ページから】
【『清浄への道』に関する九つの説明 ⑦煩悩などの対冶】
その中で、[三学の]戒めによりて諸々の煩悩の違犯を治すことが説明されている。
[三学の]禅定によりて[煩悩が心にまとい付いているが直接犯罪にまで移らない]
纏(テン)(pariyuṭṭhāna)を治すことが[説明されている]。
[三学の]智慧によりて[表面に現れない潜在的な欲界不善心の]
随眠(anusaya)を治すことが[説明されている(註)]。
(※ 纏・随眠:Dhp-U.p376、註②「三種の煩悩」参考)
【『清浄への道』に関する九つの説明 ⑧三毒に汚染されたものの浄化】
又、[三学の]戒めによりて[身・口による]悪行の汚染の浄化が説明されている。
[三学の]禅定によりて[苦しい受のものに対する激しい怒り・楽しい受のものに対する熱望の]
渇愛の汚染の浄化が[説明されている]。
[三学の]智慧によりて[外道の誤った見解の悪]見の汚染の浄化が説明されている。
【『清浄への道』に関する九つの説明 ⑨預流果などの状態の要因】
同様に、[三学の]戒めによりて[悟りの第一段階の]預流・[悟りの第二段階の]
一来の状態の要因について説明されている。
[三学の]禅定によりて[悟りの第三段階の]不還の状態の[要因について説明されている]。
[三学の]智慧によりて[悟りの第四段階の]阿羅漢の状態の[要因について説明されている]。
実に預流[聖者]は、「諸々の戒めを完成させた者である」と言われる。[又]一来聖者も同様である。
次に不還[聖者]は、「禅定を完成させた者」と[言われる]。
更に阿羅漢[聖者]は、智慧を完成させた者」と[言われる]。
その如く、実に、次のように[簡単に説明されている]。
-
①[戒め・禅定・悟りの智慧の]三学、
②三種の上手な教え、
③三明などの強い要因、
④二つの極端な立場の回避と中道に親しく近ずく、
⑤[欲界]悪趣[地]などを超越する方法、
⑥[無常・苦・無我の]三つの行相による煩悩の捨断、
⑦煩悩などの対冶、
⑧三つの汚染されたものの浄化、
⑨預流果などの状態の要因について、
これら九つなどが、あるいは他のその如きの三つの徳が、説明されているのである。
これが、因縁などについての論である。
預流聖者
(sotāpanna)
悟りの第一段階のことである。煩悩の壁を打ち破ったその瞬間を『道』、
その境地を繰り返し味わうを『果』、預流道聖者と預流果聖者の二種がある。
この聖者は欲愛・色愛・無色愛の三愛などの煩悩が未だあるため欲界に多くとも七度輪廻して結婚生活もする。
その後は阿羅漢の悟りまで到達する。
十の結縛の邪見・戒禁取・疑いを捨断する。
89心中の12不善心において四悪見相応心(22)(23)(26)(27)と疑相応心(32)の五心を捨断する。
一来聖者
(sakadāgāni)
悟りの第二段階のことである。
一来道聖者と一来果聖者の二種がある。
欲界で死んだ後、一度だけ欲界に戻り、色界・無色界を経て阿羅漢の悟りまで到達する。
十の結縛の怒り・欲愛・色愛・無色愛・慢心・心の浮つき・無明などの残りの煩悩を薄める。
不還聖者(anāgāmi)
悟りの第三段階のことである。
不還道聖者と不観果聖者の二種がある。
十の結縛の怒りと欲愛を完全に捨断しているため欲界に生まれ変わることはない。
しかし、色界と無色界に対する渇愛が未だ残っているために色界・無色界に生まれ変わる。
12不善心では残りの七不善心中の瞋恚相応心(30)(31)の二心を捨断する。
阿羅漢聖者(araham)
悟りの第四段階のことである。
阿羅漢道聖者と阿羅漢果聖者の二種がある。
十の結縛の残りの煩悩である色愛・無色愛・慢心・心の浮つき・無明を捨断する。
12不善心中の残りの四悪見不相応心(24)(25)(28)(29)と悼挙相応心(33)の五心を捨断する。
輪廻から解脱した供養尊敬を受けるべき聖者の中の最上の聖者である。
【参考】『清浄道論』(Visuddhi-Magga) 全二十三品日本語完訳
戒
学
第一品『戒の解釈』・
第二品『[十三]頭陀支の解釈(合計二品)
定
学
第三品『業処把持の解釈』・第四品『地遍の解釈』・第五品『残余の遍の解釈』・第六品『不浄の業処の解釈』・
第七品『六随念の解釈』・第八品『随念業処の解釈』・第九品『梵住の解釈』・
第十品『無色の解釈』・第十一品『定の解釈』・第十二品『神変の解釈』・
第十三品『神通の解釈』(合計十一品)
慧
学
第十四品『蘊の解釈』・第十五品『処・要素(界)の解釈』・第十六品『能力(根)諦の解釈』
・第十七品『縁起論』・第十八品『見清浄の解釈』・第十九品『度疑清浄の解釈』
・第二十品『道非道智見清浄の解釈』・第二十一品『行道智見清浄の解釈』
・第二十二品『智見清浄の解釈』・第二十三品『智の修習の利益の解釈』(合計十品)
【参考】「第三の清浄~第七の清浄」Dhp-U.p540~p542、
《第三の清浄》見清浄(diṭṭhi-visuddhi)
:念じて精神を集中させることによって念じる対象は身体(=色)であり、
それを認識するのは心(=名)である。そこには我はなく、念じる対象と念じる心だけしかないと正しく認識する。
※ 『清浄道論』第十八品『見清浄の解釈』参考。
《第四の清浄》度疑清浄(kaṇkhāvitaraṇa-visuddhi)
:見清浄の後、有情を造り出す創造主なるものは存在せず、因果だけが存在している。
過去も現在も未来も縁起によって生起しては消滅するという真理を瞬間的に理解する。
※ 第十八品『見清浄の解釈』参考。
《第五の清浄》道非道智見清浄(maggāmaggañāṇa-dassana-visuddhi)
:一瞬一瞬生滅変化する現象を観察し続ける過程において、この修行方法は正しいのか、
それとも誤った道であるのかを判断する。
※ 第二十品『道非道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第一]思惟智(sammasana-ñāṇa)
:念じられる所縁の初めの部分、真ん中の部分、最後の部分が、瞬間瞬間に明瞭に認識され、
その所縁の消滅と次に新しく生じる所縁を念じる中で、無常・苦・無我を推測的に思惟する智慧。
※ 第二十品『道非道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第二]生滅智(udayabbaya- ñāṇa)
:すべてのものは、生起しては消滅するとはっきり理解する智慧。
※ 第二十品『道非道智見清浄の解釈』参考。
《第六の清浄》行道智見清浄(paṭipadāñāṇa -dassana-visuddhi):欲界・色界・無色界の三界の名・色を観察しながら、男・女・常・楽・我・浄という一般的な見方を越えた観察である。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第三]壊滅智(bhaṅga- ñāṇa)
:念じられる所縁の生じる瞬間から滅する瞬間へと観察の対象が移り、その消滅のみを観る智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第四]怖畏智(bhaya- ñāṇa)
:念じられる所縁と念じる心が絶えず滅し続ける現象を随観する中で、極めて速いスピードで心と身体が滅していることを知り、
それに対して恐ろしい、あるいは畏怖すべきものであると観る智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第五]過患智(ādīnava-ñāṇa)
:自己も含めていろいろな欠陥や過失がより明らかに観える智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第六]厭離智(nibbidā- ñāṇa)
:無常・苦・無我・不浄である自己の身体と心や世間的な幸福などに対して、以前のような喜びや充実感あるいは願望がなくなり、
不快感や倦怠感が生じて厭い嫌いと観る智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第七]脱欲智(muccitukamyatā- ñāṇa)
:この心身を厭い嫌い続ける中で、諸行から逃れたい、世間から逃れたいと思う智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第八]省察智(paṭisaṅkhā- ñāṇa)
:新たに耐え難い苦痛や不安を感じ、心身を苦痛の集合体であるかのような苦の相がはっきり現われる中で更に観察を続け、
無常・苦・無我を再び考察する智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第九]行捨智(saṅkhārupekkhā- ñāṇa)
:諸行に対して何の関心もなくなり、唯、無常・苦・無我と随観することができる智慧。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
[十観智の第十]随順智(anuloma- ñāṇa)
:諦めずに、そのまま諸行の三相(無常・苦・無我)を観察し続ける智慧によって正しい真理を観察智見する。
※ 第二十一品『行道智見清浄の解釈』参考。
《第七の清浄》智見清浄(ñāṇa dassana-visuddhi)
:苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つの聖なる真理を観察智見することによっていろいろな煩悩を捨断する智慧である。
ここで初めて得た悟りを預流道という。悟りの聖道作用は、この智見清浄のみにおいて行なわれる。
※ 第二十二品『智見清浄の解釈』参考。
【14~16/16ページ: 10ページから】
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