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清浄道論 Visuddhimagga 1-2
戒の解釈 2/14
(Sīla-niddessa)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-2
戒の解釈 2/14
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この[佛道修行の最終目的である阿羅漢果を得て、心に恐れがなく、
その原因となる渇愛から離れて心の汚れもなく、
輪廻からの解脱に障害となる渇愛という矢を抜き取り、
この身体が最後身となる(註1)の]ために[律に関する]「論」(kathā)がある。
このために「考え量ること」(mantanā)があり、このために「例え」(upanisā)があり、
このために耳を傾ける(sotāvadhāna)[智慧]がある。
これが、[輪廻の世界に縛り付ける渇愛・高慢・邪見による執着の縁の無い]
無執取(anupādā)なる[出世間善心による]
心の解脱(citta-vimokkha)である(註2)」と。
(※ 註1:Dhp-U.第351詩句、※ 註2:Dhp-U.77、註①「五つの解脱」参考)
[悟りの]出世間[の戒め](lokuttara-sīla)は、
[煩悩の世界における]生存(bhava)から離れ出ることをもたらす。
更に、
[①戒清浄・②心清浄・③見清浄・④度疑清浄・⑤道非道智見清浄・⑥行道智見清浄(註1)
を順次に修習した後、
最後に修習されるべき⑦智見清浄は、
煩悩から離れた清浄なものであり、
苦諦・集諦・滅諦・道諦を直接観察する悟りの]
観察智(paccavekkhaṇa-ñāṇa)の段階であると、
その如く、世間・出世間によりて二種類となる。
(※ 註1:Dhp-U.p540~p542,「a.七清浄」参考)
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