ダンマパダこころの清流を求めて

ホーム>清浄道論>清浄道論1-2 第1品 戒の解釈 2/14

清浄道論 Visuddhimagga 1-2
戒の解釈 2/14
(Sīla-niddessa)



清浄道論_目次(全体_各章)
※↑は、全体目次(この章から離れます)

章内の目次は、↓の灰色のボタン「目次〇ー〇」(例:目次1-1)



清浄道論 Visuddhimagga 1-2
戒の解釈 2/14


【26/26ページ: 22ページから】

この[佛道修行の最終目的である阿羅漢果を得て、心に恐れがなく、 その原因となる渇愛から離れて心の汚れもなく、

輪廻からの解脱に障害となる渇愛という矢を抜き取り、 この身体が最後身となる(註1)の]ために[律に関する]「論」(kathā)がある。

このために「考え量ること」(mantanā)があり、このために「例え」(upanisā)があり、

このために耳を傾ける(sotāvadhāna)[智慧]がある。

これが、[輪廻の世界に縛り付ける渇愛・高慢・邪見による執着の縁の無い] 無執取(anupādā)なる[出世間善心による] 心の解脱(citta-vimokkha)である(註2)」と。

(※ 註1:Dhp-U.第351詩句、※ 註2:Dhp-U.77、註①「五つの解脱」参考)

[悟りの]出世間[の戒め](lokuttara-sīla)は、 [煩悩の世界における]生存(bhava)から離れ出ることをもたらす。

更に、 [①戒清浄・②心清浄・③見清浄・④度疑清浄・⑤道非道智見清浄・⑥行道智見清浄(註1) を順次に修習した後、

最後に修習されるべき⑦智見清浄は、 煩悩から離れた清浄なものであり、

苦諦・集諦・滅諦・道諦を直接観察する悟りの] 観察智(paccavekkhaṇa-ñāṇa)の段階であると、 その如く、世間・出世間によりて二種類となる。

(※ 註1:Dhp-U.p540~p542,「a.七清浄」参考) 【26/26ページ: 22ページから】

★清浄道論 Visuddhimagga 1-2 戒の解釈 2/14(Sīla-niddessa) 終わり★





ページの最初に戻る

清浄道論_目次(全体_各章)

※このページは【清浄道論】です(関連ページも含む)。
以下のボタンで、他ページに移動できます。