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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 3/14
(Sīla-niddessa)



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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 3/14


【30~31/31ページ: 27ページから】

【第四の四つの法、①戒条(=別解脱)律儀戒・②能力(=根)律儀戒・③生活遍浄戒・④必需品(=資具)依止戒】

第四の四つの法において、世尊(=仏陀)によりて、「茲に、比丘は[欲界の戒めとしての]戒条を守りながら住み、 [止・観の修習の]修行(=正行)と[托鉢などの]義務(=行処)とを具足し、ごく小さな罪に対しても恐怖を見て、 [戒めを]受け保ちながら、いろいろな戒条(=学処)を実践する、その如く説かれた戒めは、 これは、[欲界の戒めとして]戒条を守る戒め(=別解脱律儀戒, pātimokkhasaṁvarasīla]と言う。

次に、「彼は、眼で色(rpa)を観察しながら、相を取ることなく、細かい相を取ることがない。

その経験から眼の能力(=眼根)を守ること無く住む[比丘]は、 [煩悩を追い求める]貪欲・憂いによるいろいろな悪い法(=不善法,akusalā dhammā)に堕ちる故に、 その眼の能力(=眼根)を守るという目的に進む彼は修行して、 眼の能力(=根)を守り、眼の能力の律儀(=防護)に至る。

耳で声を聞き、…・中略…・・鼻で香りを嗅ぎ、舌で味を味わい、 身で触れるところに触れて、意で法を識り、相を取ることなく、… ・中略…・・意の能力(=意根)を守るところに達すると説かれた。

これが、能力(=根)律儀戒(indriyasaṁvara-sīla)となる。

次に、[出家]生活上に制定された六つの戒条(=学処、※ 後記参考)を破る、 あるいは嘘を言う、口数が多い、占相をする、根も葉もない作り話をする、 嘘をついて人を迷わせる、[得た]利得により更なる利得を求める貪欲[などの如く]、 又、その如くなどの[煩悩を追い求める卑劣な]悪法が働く悪い[出家]生活から離れる。

これが、[正しい]生活(=活命)遍浄戒(ājīvapārisuddhisīla)となる。

よく調べて観察して、正しい道理に従がって[法衣を]受用する、 寒さから[身を]守ることに限り法衣を受用するなどの表現によりて説かれた 「深く考えて分別しながら清らかな[食べ物・法衣・臥坐所・薬という]四つの生活必需品(=資具)を受用する」。 [これを]、必需品(=資具)依止戒(paccayasannissita-sīla)という。

【参考】 《五つの戒条》:①殺さない、②盗まない、③邪淫をしない、④嘘をつかない、⑤酒を飲まない 《十の戒条》:①殺さない、②盗まない、③邪淫をしない、④嘘をつかない、⑤悪口を言わない、 ⑥両舌を言わない、⑦事実に背いたことを言わない、⑧貪欲を慎む、⑨怒らない、⑩仏陀の正しい見解を心に忘れない。

《布薩日の八つの戒条》:①殺さない、②盗まない、③邪淫をしない、④嘘をつかない、 ⑤酒を飲まない、⑥正午から夜明けまで食べ物を取らない、⑦踊り・歌・音楽を見たり聞いたり、 花飾り・化粧品・アクセサリーを身に付けない、⑧贅沢なベッドに寝ない。

【参考】『三種類の托鉢僧』:Dhp-U.p276、註②「たく鉢僧たち」

[1]修行の未熟な托鉢僧(puthujjana-muni):未だ悟りを得ていない比丘。

[2]有学の托鉢僧(sekha-muni):悟りを得たが未だ学ぶべきことがある預流・一来・不還聖者。

[3]無学の托鉢僧(asekha-muni):最高の悟りを得て学ぶべきことがない阿羅漢聖者。

【参考】六つの戒条(=学処, channaṁ sikkhāpadāna)

① 悟りを得ていないのに悟りを得ているなどと嘘を言う(=上人法)。

② 性欲から女性を占い、彼女に肉体的な供養を求め性交をする。

③ 阿羅漢聖者ではないのに阿羅漢聖者と公言する。

④ 病気でもないのに豪華な食物を信者に求める。

⑤ 信仰心の厚い信者から過度の食事の布施を受ける。

⑥ 病気でもないのに信者にスープやご飯を準備させて食べる。

【30~31/31ページ: 27ページから】

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