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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 4/14
(Sīla-niddessa)



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戒の解釈 4/14


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『戒めに関する七つの質問。その[5]. 又、この戒めには何種類があるのか?』続編

【四種類の律儀 その(1).戒条(=別解脱)律儀戒】(Pātimokkhasaṁvarasīla)

茲に、比丘は[欲界の戒めとしての]戒条を守りながら住み、 [止・観の修習の]修行(=正行)と[托鉢などの]義務(=行処)とを具足し、 ごく小さな罪に対しても恐怖を見て、[戒めを]受け保ちながら、 いろいろな戒条(=学処)を実践する、

その如く説かれた戒めは、 これは、[欲界の戒めとして]戒条を守る戒め(=別解脱律儀戒, pātimokkhasaṁvarasīla]と言う。 (※ 本文には無いが便宜上、前に述べられたところを再び掲載する)。

そこで、これは、最初から始めて、 順次[基礎的な]言葉(=句)の説明と一緒に決定された論を[述べるならば、次の如くである]。

「茲に」(Idhā)とは、この[仏陀の]教え(=仏教)においてである。

「比丘たち」(Bhikkhū)とは、輪廻[転生に]恐怖を見ることによりて、 あるいは破れた袈裟を[身に]まとうなどのことによりて、 その如く[比丘という]名称を得るものにして、 信仰によって出家した善男子のことである。

「戒条を守り防護されている人」(Pātimokkha-saṁvarasaṁvuto)という、 ここの戒条とは、[欲界における]別解脱戒(sikkhāpadasīla)のことである。

実に、その[欲界の戒条(=別解脱律儀)]には、 [比丘戒、比丘尼戒があり、それぞれ]別々に戒めに注目して[これを]守る者を、 [煩悩を追い求める悪法から]離れて、[苦しみから]脱して、 [地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の欲界]悪趣[地]などの苦しみから脱出させる。

それ故に、戒条(=学処)(pātimokkha)と言われる。

[善い戒めを]守ることが律儀(saṁvara)である。 この身体によって・語によって[戒めを]破らないことをいう。

実に戒条が律儀であり、戒条律儀(=別解脱律儀)である。

その戒条律儀(=別解脱律儀)によりて守られている者が「戒条律儀に防護された」である。 [防護されたとは]、親しく近ずき具足するという意味である。

「住み」(Viharatī)とは、[歩く・住む・坐る・臥せるの]行為のことである。 「正しい修行(=正行)と義務(=行処)とを具足して」などの意味は、 実にパーリ語聖典に説かれている表現によりて理解すべきである。

即ち、この如くに曰く。- 「正行と行処とを具足して」(Ācāragocarasampanno)とは、 [止の修習・観の修習など]正しい修行(=正行)があり、 [托鉢などの]義務(=行処)があるということである。

その中で、[正しくない修行の]不正行(ancra)とは、 一体どのようなものか? 身体によって[戒めを]破る、 言葉によって[戒めを]破る、身体と言葉によって[戒めを]破る。

これが正しくない修行(=不正行)と言う。 一切の悪い戒めは、正しくない修行のこと(=不正行)である。

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