ホーム>清浄道論>清浄道論1-3 第1品 戒の解釈 4/14
清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 4/14
(Sīla-niddessa)
清浄道論_目次(全体_各章)
※↑は、全体目次(この章から離れます)
章内の目次は、↓の灰色のボタン「目次〇ー〇」(例:目次1-1)
清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 4/14
【32/36ページ: 32ページから】
『戒めに関する七つの質問。その[5]. 又、この戒めには何種類があるのか?』続編
【四種類の律儀 その(1).戒条(=別解脱)律儀戒】(Pātimokkhasaṁvarasīla)
茲に、比丘は[欲界の戒めとしての]戒条を守りながら住み、
[止・観の修習の]修行(=正行)と[托鉢などの]義務(=行処)とを具足し、
ごく小さな罪に対しても恐怖を見て、[戒めを]受け保ちながら、
いろいろな戒条(=学処)を実践する、
その如く説かれた戒めは、
これは、[欲界の戒めとして]戒条を守る戒め(=別解脱律儀戒, pātimokkhasaṁvarasīla]と言う。
(※ 本文には無いが便宜上、前に述べられたところを再び掲載する)。
そこで、これは、最初から始めて、
順次[基礎的な]言葉(=句)の説明と一緒に決定された論を[述べるならば、次の如くである]。
「茲に」(Idhā)とは、この[仏陀の]教え(=仏教)においてである。
「比丘たち」(Bhikkhū)とは、輪廻[転生に]恐怖を見ることによりて、
あるいは破れた袈裟を[身に]まとうなどのことによりて、
その如く[比丘という]名称を得るものにして、
信仰によって出家した善男子のことである。
「戒条を守り防護されている人」(Pātimokkha-saṁvarasaṁvuto)という、
ここの戒条とは、[欲界における]別解脱戒(sikkhāpadasīla)のことである。
実に、その[欲界の戒条(=別解脱律儀)]には、
[比丘戒、比丘尼戒があり、それぞれ]別々に戒めに注目して[これを]守る者を、
[煩悩を追い求める悪法から]離れて、[苦しみから]脱して、
[地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の欲界]悪趣[地]などの苦しみから脱出させる。
それ故に、戒条(=学処)(pātimokkha)と言われる。
[善い戒めを]守ることが律儀(saṁvara)である。
この身体によって・語によって[戒めを]破らないことをいう。
実に戒条が律儀であり、戒条律儀(=別解脱律儀)である。
その戒条律儀(=別解脱律儀)によりて守られている者が「戒条律儀に防護された」である。
[防護されたとは]、親しく近ずき具足するという意味である。
「住み」(Viharatī)とは、[歩く・住む・坐る・臥せるの]行為のことである。
「正しい修行(=正行)と義務(=行処)とを具足して」などの意味は、
実にパーリ語聖典に説かれている表現によりて理解すべきである。
即ち、この如くに曰く。- 「正行と行処とを具足して」(Ācāragocarasampanno)とは、
[止の修習・観の修習など]正しい修行(=正行)があり、
[托鉢などの]義務(=行処)があるということである。
その中で、[正しくない修行の]不正行(ancra)とは、
一体どのようなものか? 身体によって[戒めを]破る、
言葉によって[戒めを]破る、身体と言葉によって[戒めを]破る。
これが正しくない修行(=不正行)と言う。
一切の悪い戒めは、正しくない修行のこと(=不正行)である。
【32/36ページ: 32ページから】
※このページは【清浄道論】です(関連ページも含む)。
以下のボタンで、他ページに移動できます。