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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 7/14
(Sīla-niddessa) 
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 7/14
        
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第一品(7/14)
 (Pathama paricchedo)
『戒の解釈』(七)
(Sīla-niddessa)
《おしゃべりの解釈》
「おしゃべり」(lapanā)の解釈について、- 「話しかける」(ālapanā)とは、僧院にやって来る[信者]たちを見て、
「君たちは何の目的の為にやって来たのか? 比丘たちを招待するためになのか? もし、そのようであるならば、
[直ぐに]帰りなさい。私は後から[托鉢用の]鉢を持ってあなた方の家に]飛んで行く」と、その如くに[相手の意見を
聞く前に]先に一方的に話しかけて来る。
あるいは又、自分を[自己]紹介する時、「私はティッサである。王様は、
私に対して浄らかな信仰がある。私に関わるあれやこれやの大臣は、私に対して浄らかな信仰がある。」と、その如くに
[自分は如何に皆から尊敬され、社会的地位の高い人たちとも交流がある比丘であるという]言葉で自己紹介して[信者に
一方的に]話しかける。
「おしゃべり」(,lapanā)」とは、[信者から仏陀の教えについて]質問されて、[それに]答える立場の比丘が、
[自分は博識な比丘であることを見せ付けるために]実に根も葉もないことをしゃべりまくることである。「極めて
根も葉もないことをしゃべる」(Sallapanā)とは、[比丘が居士たち(gahapatikā)の失望を恐れて、いろいろな機会を
つかまえては[自分は偉い比丘であることを見せ付けるために]根も葉もないことをよくしゃべることである。
「嘘で誉め讃える」(Ullapanā)とは、「[あなたは]偉大な資産家である」「[あなたは]偉大な船主である」
「[あなたは]偉大な施し者である」というが如く、[多くの布施を得るために信者を]上に持ち上げては根も葉もない
ことをしゃべることである。「極めて嘘で誉め讃える」(Samullapanā)とは、あらゆる点から[信者を]持ち上げて
嘘のおしゃべりをすることである。
「まとい付き絡む言葉」(Unnahanā)とは、「男性信者たちよ、以前はこのような施しをしたのに、今は、新しい施しを
しないのか」と、このように[繰り返し要求して、信者が根負けして]、「尊師よ、私たちは[今から]施します。
機会がなかっただけです」などと言うまで、[その結果に]結び付くまで、上目目線でうるさくからみ付くことを言う。
あるいは又、[信者が]砂糖キビを手にしているのを見て、「男性信者よ、どこから持って来たのか?」とたずねて、
「尊師よ、砂糖キビ畑からです」と[答えると]、「それは、甘い味がするのか?」と[更に質問をして]、「尊師よ、
噛んで食べてみなければ、わかりません」と[答えると]、「男性信者よ、比丘が『砂糖キビを[私に]与えよ』
ということは相応しくない」と[からみつく]。
その如く、[無駄口をたたき]うるさく絡まり、おしゃべりをすることは、
これは、「まとい付き絡む言葉」(unnahanā)である。あらゆる面から繰り返しいろいろ「うるさく絡まりおしゃべり
をすること」は、極めてうるさく絡まりおしゃべりすることである。
「うわべを飾った嘘の話(=虚談)」(Ukkācanā)とは、「この良家は私のことを知っているにほかならない。もし、
ここに施し物がある時は、すぐに私に施すべきである」と、その如く[以前の施し物を]取り上げて詳しく並べて、
口先うまく[今回も施しを]するようにと言うことである。 [その例として]、又、ここに、テーラカンダリカ物語
(Telakandarika-vatthu)が説かれるべきである。次に、あらゆる面から繰り返し「うわべを飾った嘘の話をすること」
(samukkācanā)がある。
                
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