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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 9/14
(Sīla-niddessa) 
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 9/14
        
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『戒の解釈』(九)
(Sīla-niddessa)
【資具依止戒 ③臥坐所】
「臥坐所」(Senāsana)とは、住む所である。即ち、[比丘が佛道修行する所の]精舎は、あるいは片屋根の家
などの臥す処は、これは臥坐所にして、坐禅をする処も、これは坐所である。[即ち、起きて半畳寝て一畳の
臥坐所である]。それを一つにして臥坐所 (=住所)という。
「天候による危険を取り除き、独り坐禅を楽しむために」(Utuparissaya-vinodanaṁ 
paṭisallānārmatthan)とは、天候が打ち勝つという意味があり、天候による危険にほかならない。又、
天候の危険を排除するため、あるいは独りで坐禅を楽しむためである。身体を煩い害して心を乱すような
悪い天候(=時節)は、臥坐所を受用することによりて取り除くべきである。
その[不適当なる時節の危険を]
取り除くために、又、独り坐禅を楽しむためにと説かれたのである。又、むしろ時節(=天候)の危険の取り
除くことを説くのは、実に寒さを除去することなどを説くのである。
しかしながら、例えば、法衣の受用に際して[身体の]陰部の覆い隠すとは、[それは]決定された[受用]目的
である。その他のものは、いつか、時々にあらわれるであろうものであると説かれた。その如くに、ここに
おいても、決定された時節の危険を取り除くに関して、この[臥坐所の受用]が説かれたと理解すべきである。
あるいは又、これは[寒さなどと]説かれた点から考えて時節は、天候(utu)にほかならない。
そして「危険」(Parissaya)には、明らかに現れる危険と隠された危険との二種類がある。その中で、明らか
に現れる危険とは、ライオン・虎など[による危険]であり、隠された危険とは貪欲・怒りなど[による危険]
である。いかなる場所において、それらから完全に守られていないことによりて、あるいは姿・形(=色)
の観察などが[貪欲・怒りによりて]適切ではないことによりて、病気の苦しみを作り出すことがないならば、
この臥坐所をその如くに知って、観察して、受用しながら比丘は、[ただ寒さを防ぐため、暑さを防ぐため、
虻・蚊・風・太陽の灼熱・蛇の害を防ぐためだけと]はっきり理解して、正しい道理に従がって、…・・中略…
・天候(=時節)の危険を取り除くために臥坐所(=住む所)を受用するのであると理解すべきである。
【資具依止戒 ④薬】
「病人の必需品である薬」(Gilānapacayabhesajjaparikkhāran)とは、ここに病気に関する[治療の]目的
による必需品(=資具)であり、[病いの]反対の[健康の]状態に至るという意味である。これは、何であれ、
適当な[病気の治療薬]の同義語である。
薬は、医者の生業であり、それによって承認されたものなるが故に薬である。病いの必需品である薬、あるい
は病人の必需品である薬、それが何であれ、病いに対して油・蜂蜜・砂糖などを適当に[調合する]医者の行為
による[薬]を言う。
次に、「助け」(Parikkhāro)とは、「[ちょうど]七つの町の[防御が]用意されていることによりて、善く助
けられている」などと、[安全に]守られていると言われる。[即ち]、「戒めの助けという車軸、禅定と精進
という車輪」などという[言葉]において[内外共に]荘厳であると[言われる]。
又、誰であろうとも[家を]
出た出家修行者にとって集められるべき生活必需品(jīvitaparikkhārā)となる」などという[言葉]において
必需品と[言われる]。そして、ここにおいては[生活の]必需品とも[生活を]助けるとも[その意味に取って]
よろしい。
実に、病人の必需品である薬は、生命に対する助けでもある。命を破滅させる病苦の発生に対して、機会を
与えずして[命を]守るのである。又、助けにも[なる]。
[ちょうど]長く[命を]存続させるための原因となるである。それ故に、「助ける」(parikkhāra)と言われる。
その如く、病人の助けとなる薬にして、又、それは必需品でもあるが故に「病人の必需品である薬」である。
その病人の必需品である薬は、いかなる病人に対して油・蜂蜜・砂糖などを適当に[調合した]医者に
許される生命を助ける[薬]と言われる。
                
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