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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 9/14
(Sīla-niddessa)


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戒の解釈 9/14


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「発生する」(Uppannānan)とは、生じること、存在すること、起こり生じることである。「悩みによる障害」 (Veyyābādhikānan)とは、ここに怒りによる障害(byābādho)という[心身が不調な時、いろいろな妄想が 所縁として意門に現れる]界の動揺(dhātukkhobha,註)と、又、それによりて発生するライ病・腫れ物・ 吹出物などである。悩みによる障害(=病害)・怒りによる障害が発生するが故に、病いによる障害である。 (※ 註:Dhp-U.p318、「意門に現れる十種の所縁」参考)

「感受」(Vedanānan)とは、苦しみの感受、不善の異熟の感受のことである。それ故に、病による障害の 感受である。[即ち、無因苦倶不善異熟身識(67)の肉体的な苦しみと、不善憂倶瞋恚相応心(30)(31)による 精神的な苦しみである(註)] (※ 註:Dhp-U.p196、「五受」参考)

「悩み苦しみのない究極の真実」(Abyābajjha-paramatāyā)とは、究極的には[輪廻転生の]苦しみが無いこと である。この[現世において]一切の苦しみが捨てられた[涅槃の]その間は、という意味である。その如く これを要略すれば、「人並みに働きもせず他人様からの施しを受ける単なる乞食では無く、その出家生活は、 止の修習から観の修習へと進み、更に縁起の道理によりて自己の内外の現象は無常・苦・無我であると随観し、 涅槃を所縁とする聖道作用において輪廻からの解脱という]正しい法の道理に従がって心を働かせながら (=如理)、[信者からの施しによる出家生活の]必需品を受用することを特徴とするのが「資具依止戒」( paccaya-sannissita-sīlaṁ)であると理解すべきである。

しかしながら、ここの[単なる乞食では無くという]言葉の意味は[次の如くである]。実に法衣などは[信者 から施された]助けによりて、[それに]依存して着衣しながら生活する[出家修行]者は、この[輪廻からの 解脱を]成し遂げて行くのである。それによりて「[出家修行者の生活]必需品(=資具)」と言われる。[単なる 乞食生活者の必需品では無い]。それらの生活必需品(=資具)に依存するが故に、資具依止 (paccayasannissita)である。

『四つの遍浄戒についての雑論』

【四つの遍浄戒についての雑論 その[1] 戒条(=別解脱)律儀戒の成就】
その如く、[①戒条(=別解脱)律儀戒・②能力(=根)律儀戒・③生活(=活命)律儀戒・④[生活]必需品 (=資具)依止戒の]これら四種類の戒めの中で、[欲界の戒めとしての]戒条(=別解脱)律儀[戒]は、 信仰によりてしっかりと最後まで成し遂げられるべきである。

実に、それは信仰によりて成就されるものであり、[欲界の戒めとしての]戒条(=学処)の制定は、 [仏]弟子(=声聞)の範囲を越えたものであり、[新しい戒条を望む弟子たちの願いの]言葉も拒否することが 出来る。[これが]、ここの特徴である。

それ故に、[仏陀によりて]制定された戒条の全てを信じて受け保ち、 [世俗的な]生活に対して[何も]期待することが無い。[出家修行者は]、[戒条を]十分に完成させるべきである。

実に、次の如く説かれている。- 「[カラス科の鳥である]カケス(kiki)]が卵を[守るが]如く、チャマリー 鹿が尾を[守るが]如く、あるいは[母親が]愛する我が子を[守るが]如く、唯一つの眼を[守るが]如く、実に その如くに戒めを守りながら、善く温和であり、常に尊敬される人となれ!」と。

更に又、説かれている。- 「偉大なる王様よ、その如くに、弟子たちのために戒条が私によって制定された ものである。それを、私の弟子たちは命を賭けても破ることなかれ!」と。又、これに関して、ここに、 森の中で盗賊たちに縛られた長老たちの話を理解しなければならない。

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