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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 9/14
(Sīla-niddessa)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 9/14
	
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次に、この[感官能力(=根)律儀戒]がしっかりと最後まで成し遂げられている時は、[欲界の戒めとしての]
戒条(=別解脱)律儀戒も、又、[身・口による過失を、あるいは悪行を防止する働きが]長く持続する。
[ちょうど]、木の枝に囲まれて警備がよく整えられている穀物の如くである。又、善く門を守る村において、
他人の物を盗む盗賊たちによる[被害がないが]如く、この[戒条(=別解脱)律儀戒]は、煩悩という盗賊たち
によりて害されることはない。又、善く屋根を葺いた家に雨漏りがないが如く、[止と観の]修習がある[
彼の]心に貪欲が貫通しない」。
又、このように言われている。-色と声と、又、味において、又、香と触れるにおいて、[それらが入って
来る場所である眼・耳・鼻・舌・身の]感官能力(=根)を[貪欲などから]守るべきである。
これら[色などの
所縁が入って来る場所の]門が、閉ざされて善く守られているならば、[ちょうど]村において、[盗賊たちが
他人の物を奪うことがない]如く、[煩悩という盗賊たちによりて比丘は]害されることがない人となる。
例えば、善く屋根を葺いた家に雨漏りがないが如く、[止と観の]修習がある[彼の]心に貪欲が貫通しない」
と。
(※ Dhp-U.第十四詩句) そして、これは、極めて最上なる教えである。
心というものは、速く転ずるものである。それ故に、既に生起した貪欲に対して[不浄な所縁であると心を
発動させる]不浄意作(asubhamanasikāra)によりて除去して、能力(=根)律儀をしっかりと最後まで成し
遂げるべきである。[ちょうど]最近出家したヴァンギーサ長老の如く。
(※ 意作:Dhp-U.p495、(7)「意作」
参考) 
伝えて曰く、- 出家して日の浅い[ヴァンギーサ]長老が托鉢している時、一人の婦人を見て性欲
(=貪欲)が生じた。それ故に、彼はアーナンダ長老に曰く。
- 「性欲(=貪欲)によりて焼かれている私の
心は、[苦しみに]燃えている。ゴータマ[・アーナンダ]よ、[私を]哀れんで、[これを]消滅させる正しい
[法を]説いて下さい」と。
(※ パーリ語仏典CDシリーズ第13号『長老経』その(20)「大いなる詩句の集篇」
第1232詩句参考)
[それに対してアーナンダ]長老は[次の如く]答えた。
不浄のあるものを清浄であると思い違いをさせる考え
によりて[汝の]心は、焼かれているのである。性欲(=貪欲)を起こさせる美しい相を避けよ。[身体に関す
る]不浄観(註1)のために、一境性(註2)によりて心をよく統一して修行せよ! 身体に関する随念(註3)を
[修行]せよ 
(※註1「不浄観」:Dhp-U.p187、
「十不浄想」。※ 註2「一境性」:Dhp-U.p495、「一境性」、※ 註3「身体に関する随念」:Dhp-U.p103、「身の
随念」、※ 註4:※ 本文に無し。『長老偈経』第1234詩句の後半部を追加する)
 [生滅変化する一切の現象の]諸行(Saṅkhāra)を、[縁起による]別物として、苦しみであり、又、[自分の
 思い通りにならない]非我である(attata)と観察せよ! 大きな貪欲を[殺し続けて]消滅させよ! 繰り
 返し繰り返し[煩悩に]焼かれることなかれ」と。 [そしてヴァンギーサ]長老は、性欲を取り去って托鉢に
 出掛けたのである。
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★清浄道論 Visuddhimagga 1ー3 戒の解釈 9/14(Sīla-niddessa) 終わり★
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