ホーム>清浄道論>清浄道論1-3 第1品 戒の解釈 11/14
清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 11/14
(Sīla-niddessa) 
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 11/14
        
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第一品 (11/14)
 (Pathama paricchedo)
『戒の解釈』(十一)
(Sīla-niddessa)
【四つの遍浄戒についての雑論 その[4] 必需品(=資具)依止戒の成就】
次に、生活(=活命)遍浄[戒]が精進によりて[完成する]、その如くに[出家生活の]必需品(=資具)
依止[戒]は、智慧によりてしっかりと最後まで成し遂げるべきである。
実に、[悟りの]智慧が成就して
いる[聖]者は、智慧の善行によって[信者からの施しの食べ物・法衣・臥坐所・薬の]必需品(=資具)
について、過失と利益との[二つを]見ることができる状態とにある。
それ故に、必需品に対する貪り
求め(gedha)を捨てて、「法(=教え)」(dhamma)と「正しい[修行]」(samana)とによりて得られた
必需品を、既に説かれた方法によりて、智慧による観察をして受用する[比丘]に、それをしっかりと
最後まで成し遂げるべきである。
その中で、[出家生活における]必需品を得る時[の観察]と、受用する時[の観察]との二種類の観察
がある。実に[信者からの施しを]得る時、[そこに]置かれた法衣などを、界(dhātu)によりて[色
(rūpa)を観察する]、又、厭い嫌い(=厭逆, paṭikūla)によりて観察する。
その後に受用すれば、
非難されるべき点がない。受用の時においても[同様である]。
[即ち、界によりて色を観察するとは、
ちょうど大幻術者の如く、人間存在という幻を生じさせる性質の基礎的な要素であり、それ自体の独自
の本性を保持している大種色(mahābhūta-rūpa、註)の地界・水界・火界・風界の界(dhātu)によりて
観察することである。
又、厭い嫌いによりて観察するとは、観の修習によりて無常・苦・無我・不浄
である自己の身体と心や世間的な幸福などに対して以前のような喜びや充実感あるいは願望がなくなり、
不快感や倦怠感が生じて厭い嫌い(paṭikūla)によりて観察することである]。
(※ 大種色:
Dhp-U.p560、「1.大種色」参考) 
この[受用の時の観察の]中で、[受用を]決定する次の決定[論]
がある。― 即ち、盗み取る受用・借金としての受用・受け継ぐ受用・主人受用の四つの受用のことで
ある。
【受用時における四つの決定論 ①盗み取る受用】
この中で、比丘の集いの中に坐して[自ら托鉢に出掛けることなく]受用する[悪い習慣・悪い性質の]
劣る戒(dussīla)による受用は、盗み取る受用(theyyaparibhoga)と言う。
【参考】『ダンマパダ』第168詩句、Dhp-U.p212.
  Uttiṭṭe   nappamajjeyya     l    dhammaṁ   sucaritaṁ  care   ll
   Dhammacārī  sukhaṁ seti   l   asmiṁ  loke  paramhi   ca.  ll 
  [日課の托鉢に]奮起せよ! 放逸になるな! 正しい法に従がった修行をせよ。
正しい戒律に従がって修行する人は、この世においても来世においても、安楽である。
                
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