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第二 不放逸の章
APPAMĀDA VAGGA(HEEDFULNESS)
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第28偈 マハーカッサパ長老
神通力、天眼によって・・・
【偈: Gāthā】
28. 賢者
は、不放逸
によって放逸
を切
り捨
てる時
、智慧
の高楼
に登
り 憂
いに沈
んだ人々
を憂
いなく見下
ろす。ちょうど山頂
に立
つ人
が地上
の人々
を見
るように、賢者
は愚
かな人
を見
おろすのである。
【パーリ語: Pali】
Pamādaṁ appamādena / yadā nudati paṇḍito
Paññāpāsādamāruhya / asoko sokiniṁ pajaṁ
Pabbataṭṭhova bhūmaṭṭhe / dhīro bāle avekkhati.
【英語: English】
When in understanding one discards heedlessness by heedfulness, he , free from sorrow, ascends to the palace of wisdom and surveys the sorrowing folk. As a man on a top of mountain the wise surveys the groundlings.
【因縁物語: Story】
※マハーカッサパ長老が、ピッパリ(Pipphali)洞窟で
修業しておられた頃である。
朝食を終えた長老は、光明遍(āloka kasiṅa)をひろげ、そして、放逸な人、不放逸な人、又、水や大地や山頂に
おいて死んだ人、生まれた人を、天眼をもって見つけながら座っていた
その時仏陀は、ジェータワナ(Jetavana)より「我が弟子カッサパよ、お前は何をしているのか?」とその神通力でたずねた。そして、天眼で、
マハーカッサパ長老が、死んだ人、生まれた人を見つけているのを知ったのである。
そこで、仏陀は「それは、仏陀の智慧によっても区別がつかぬ
ことである。母親の胎内で、親が知らぬ間に死んだ者
は、数え切れない。それを知るのは、お前の責任ではない。それは私の責任である」と言って次の詩偈を説かれたのである。
(第28偈の因縁物語)
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