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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論
(Nidānādi-kathā)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-1
因縁などについての論 2/2
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【『清浄への道』に関する九つの説明 ①三学】
実にここに、[三学の]戒めによりて増上戒学(adhisīlasikkhā)が説明されている。
[三学の]禅定によりて増上心学(adhicitta-sikkhā)が[説明されている]。
[三学の]智慧によりて増上慧学(adhipaññāsikkhā)が[説明されている]。
参考:Dhp-U.p277,註①「三学」から引用
1.戒 学
(sīla-sikkhā) 欲望の流れを堰き止め、身・口による非を防ぎ、悪を止めて、よい習慣と環境を自らつくる。
2.定 学
(samādhi-sikkhā) 身・口を調御して精神を統一しながら禅定に入る。
3.慧 学
(paññā-sikkhā) 深い禅定によって自分をも含めた現象世界をあるがままに
無常・苦・無我であると観察する中で、悟りの智慧によって自ら四聖諦を観る。
【『清浄への道』に関する九つの説明 ②三種の上手な教え】
又、「戒め」によりて最初の上手な教えが説明されている。「諸々の善法において何が最初の[上手な教え]なのか?
実に「戒めも極めて清浄なものである」という言葉、
あるいは「一切の悪業を行わない」などの言葉によりて、戒めは、教えにおいて最初の[段階の]ものである。
又、それは、[瞑想中の所縁が一境性の明確な相となるように]上手に上達させることによりて、
後悔の無いなどの徳をもたらす。
[その一境性の相を更に巧みに上達させる]禅定によりて中[段階]の上手な[教え]が説明されている。
「善巧の具足」などという言葉によりて、実に「禅定」は教えにおいて中ほどの上手なものである。
そして又、[既に得ている一境性の相を]上手に守ることによりて
[空を飛び・地下に潜り・いろいろなものに化身できる]神変などの徳をもたらす。
[それ故に]智慧によりての教えが最後の[段階の]上手なものであると説明されている。
実に「自分の心を遍く清める。これが諸佛の教えである」という言葉、あるいは智慧の最上なることによる智慧は、
教えの最終[段階の上手なものである]。
(※ 註:『清浄道論』第十二品『神変の解釈』参考。)
痴の影響を受けない心によりて分別を超えた]そのあるがままの状態の[真実を観ることを]もたらすが故に、
「[心の]善き巧みな」(kalyāṇa)である。 [例えば]「一つの堅い岩山が、風に動かされない如く、
賢者は、非難や賞賛に動じない(註)」と説かれている。
(※ 註:Dhp-U.p112、第81詩句参考)
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