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清浄道論 Visuddhimagga 1-2
戒の解釈 2/14
(Sīla-niddessa)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-2
戒の解釈 2/14
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【第三の二法、①離れる[戒] ②離れない[戒]】
第三の二法において、殺生などから離れることが「離れる戒め」(virati- sīla)にして、
残りの[所縁の認識主体としての]思(cetanā)などは離れない戒め(avirati- sīla)である。
その如く、離れる[戒]・離れない[戒]によりて二種類である。
【第四の二法、①依存戒・②不依存戒】
第四の二法において、「依存」(nissayo)とは、
渇愛に依存する(taṇhānissayo)と[邪]見に依存するとの二つの依存である。
その中で、「私は、この戒め[の善行]によりて天界に[輪廻転生するに]相違ない、
あるいは天界の何れかに[輪廻転生するに]相違ない」と、
その如くの生まれ(=有)の成就を[強く]望む者によりて
実践されている[戒めは]、これは、[楽受を与えるものに対してこれを愛し求めようとする熱望
(=渇愛)に依存する戒(=愛依止戒,nissita- sīla)である。
「[輪廻からの解脱を目指して
犬や牛などの習性を修習する(註)]戒めによりて[心は]清浄である」と、
その如くの清浄に対する[邪]見(suddhidiṭṭhi)によりて
実践される[戒め]は、これは、[邪]見に依存する[戒め](=見依止戒)である。
又、[世間を超えた]出世間において、あるいは世間において、
実にこの[輪廻からの解脱に導く大きな]助けとなる存在の[戒め]は、
これは、[無明・渇愛に]依存しない[戒](=不依止戒,)である。
その如く、依存する[戒](nissita-sīla)・依存しない[戒](anissita-sīla)によりて二種類となる。
(※ 註:Dhp-U.p87、「四つの固執」《習性行の固執》参考)
【第五の二法、①時間制限戒・②臨終戒】
第五の二法において、時間の限定をして受け保つ戒は、
時間制限[戒](kālapariyanta- sīla)である。
寿命の終わるまで教えを受け保つ[戒]は臨終[戒]( āpṇakoṭika-sīla)であると、
その如く、時間制限[戒]・臨終[戒]によりて二種類となる。
【参考】『ダンマパダ』第333詩句。
Sukhaṃ yāva jarā sīlaṁ l sukhā saddhā patiṭṭhitā ll
Sukho paṅṅāya paṭilābho l pāpānaṁ akaraṇaṁ sukhaṁ ll
寿命の終わるまで戒めを受け保つことは楽しい、信仰の不動は楽しい、
真理が観える智慧を得ることは楽しい、いろいろな悪行を為さぬことも安楽である。
※ 何故ならば、善行を積み重ねた凡夫と有学の聖者は、
その善行の報果によって、死後、欲界善趣地や梵天界に輪廻転生できるからである。(Dhp-U.p369、註②)
【第六の二法、①制限戒・②無制限戒】
第六の二法において、
利得(lābha)・
名声(yasa)・
親族(ñāti)・
身体(aṅga)・
生命(jīvita)
によりて見られる制限がある[戒め]をいう。その反対は、無制限[の戒めと言う]。
又、無碍解[道](Paṭisambhidā-magga)にも[次の如く]説かれている。
- この戒めによりて制限があるものとは一体どういうものか?
利得に制限されている戒めがあり、名声に制限されている戒めがあり、
親族に制限されている戒めがあり、身体に制限されている戒めがあり、
生命に制限されている戒めがある。では、利得に制限されている戒めとは何か?
ここに、ある者は、利得の原因によりて、利得の条件(=縁) によりて、
利得の働きによりて 、受け保つところの戒条(=学処)に違反することがある。
これは、利得に制限されてする戒めである。この方法によりて実に他のものも詳しく知るべきである。
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