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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 4/14
(Sīla-niddessa)


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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 4/14


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【近依行処】(upanissayagocara)

その中で、力強く近くに行ずる処(=近依行処, upanissayagocara)とは、一体どういうものか?

[それは、比丘にとって必要な、且つ基礎的な教えである]
十種類の論議(=十論事)の徳を具備する賢く善き友を言う。

[十論事に]基ずく勝れた解釈は有益である。

それも適度に語るべきである。

未だ聞いていないこと、
[自分の心(=名)と肉体(=色)は別々であるなどを]聞く。

既に聞いていること、
[止の修習によりて精神の集中を妨げる愛欲・怒り・無気力・不安・疑いという 五蓋から離れて心を]遍く浄化させて、
[縁起の道理によりて過去・現在・未来における自分の存在に関する]疑惑を超えて、
[観の修習によりて自己の内外の現象を無常・苦・無我・不浄であると]正しく観察して、
[涅槃を所縁にして輪廻転生の根本原因である無明・渇愛の滅尽に]心を喜ばせる。
(※ 十論事:後記参考)

あるいは又、 彼に従がって[輪廻からの解脱に向かって
その具体的な方法を説く八正道についての] 学習によって信仰が増大する。

[瞑想を始める前の準備としての]戒め(sīla)と、
[止の修習・観の修習について]聞くこと(suta)と、
[ちょうど、勝れた良い馬たちを観察する調教師の如く]
自己の内外の現象に強くとらわれずバランスを保つこと(=捨,cga)と、
[涅槃を所縁とする悟りの聖道作用の]智慧(paa)とが増大する。

これを[賢く善き友に近ずくところの]近依行処(upanissayagocaro)と言われる。

【守護行処】(ārakkhagocara)

守りながら行ずる処(=守護行処, ārakkhagocara)とは、一体どういうものか?

ここに、比丘あり、[托鉢に出掛けて]家々の間に入り、
街の道を歩くに際して、眼を伏せて、
両手を左右に伸ばした長さほどの前を見て、
善く[戒めを]守りながら托鉢する。

[その道中において]象[の部隊]を眺めない。
馬[の部隊]・車[の部隊]・歩兵[を眺めない]。
女性・男性を見ず、上を見ず、下を見ず、 東西南北の四方と四方の中間を眺めずして歩く。

これを[守護しながら行ずる処]守護行処(ārakkhagocara)と言われる。

【近縛行処】(upanibandhagocara)

[自分に]密接に行ずる処(=近縛行処,upani-bandhagocara)とは、一体どういうものか?

[身に関する念住・感受に関する念住・心に関する念住・法に関する念住の] 四つの念住(Cattāro satipaṭṭhānā,註)である。

その処において心と密接な関係になる。

(※ 註:『清浄道論』第八品『随念業処の解釈』参考)

実にこれは世尊(=仏陀)によりて説かれたものである。

-「比丘たちよ、比丘の心の依り処(gocara)となるものは何か?

自分の祖父(=諸佛)の対象となるものは何か?

それは、四つの念住 (cattāro satipaṭṭhānā)であると。

これを、[自分に]密接な関係にある行ずる処(=近縛行処)と言われる。

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