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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 6/14
(Sīla-niddessa)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 6/14
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ここに、在家信者(=居士)たちが、
[出家生活者の助けとなる]法衣・食べ物・臥坐所・病人の必要品である薬を
[施そうと思い立ち]、比丘を招待する。
[招待された比丘]は、悪い欲望があり、
貪欲に堕ちて[悪知恵が働く]者であり、
[在家信者たちからの施しを]標的にして、
法衣…・中略…・必需品を更に多く[得たいと]執着して、
[法衣の受け取りを]断る[芝居をする]。
食べ物…・
中略…・
臥坐所、
病人の必需品である薬[の受け取りを]断る[芝居をする]。
[悪知恵の働く]彼は、
[在家信者たちに向かって] 次のことを言うのである。
―「沙門にとって高価な法衣とは如何なるものか?
これから[話すこと]は、[私達比丘に]当てはまることである。
[即ち]沙門は墓地から、あるいは塵山から、
あるいは店先に棄てられたボロ切れを
拾い集めて重ね衣を作り着衣すべきである。
沙門にとって高価な食べ物とは如何なるものか?
これから[話すこと]は、[私たち比丘に]当てはまる
ことである。
[即ち]、沙門は、托鉢に出掛けて、
[他人様から]食べ物を乞うことによりて[出家]生活を送るべきである。
沙門にとって高価な臥坐所
とは如何なるものか? これから[話すこと]は、
[私たち比丘に]当てはまることである。
沙門は、樹の下に住む者、あるいは路地に住む者である。
[即ち、起きて半畳寝て一畳(註)である]。
(※ 起きて半畳寝て一畳:人は必要以上のものを望むべきではなく、少欲足るを知るの意味である。)
沙門にとって、病人にとっての必需品が高価な薬であるとは、
いかなるものか?
これから[話すこと]は、[私たち比丘に]当てはまることである。
[病の]沙門は、牛の尿を発酵させた薬(pūtimutta)、
あるいはハリタキー[という樹の]枝の切れ端で薬を作り[それを受用]すべきである、と。
それらの点だけを心掛ける[比丘は]、
粗末な法衣を着て、粗末な食べ物を摂り、
[起きて半畳寝て一畳という]粗末な臥坐所を受用して、病人の必需品
として粗末な薬を受用するのである。
この[悪知恵の働く比丘の言葉に騙されて]在家信者たちは、次のように思ったのである。
-「この沙門は、少欲にして足ることを知り、
[村里から]遠く離れて[村人たちと]交流を持つことがなく、
精進を起こして、[煩悩のゴミをふるい落とし、衣食住に
ついても貪欲を払い捨てて、
清浄に仏道に励む]頭陀行者(dhūtavāda,註)である」と[信じた。
その結果、在家信者たちは]、さらにより多くの法衣…
・中略…・薬を[施すために比丘を]招待するのであった。(※ Dhp-U.p12、註①参考)
[その時]彼は、[在家信者たちに]次のように話すのである。
―「三つのものに向かい合うことによりて、信仰のある善男子に多くの福徳が生まれる。
[その三つのものとは]、
①信仰と向かい合うことによりて信仰のある善男子に多くの福徳が生じる。
②施しと向かい合うことによりて、
…・中略…・
③供養されるべき出家修行者と向かい合うことによりて信仰のある善男子に多くの福徳が生まれる。
汝たちには、実にこの信仰があり、又、施しも
見られる。更に、私は供養されるべき者である。
もし、私が[汝たちの施し物を]受け取らないとしたならば、
汝たちは、このような福徳から除外された状態となるのは確実である。
これは、私にとって[無関係の]意味の無いものであるが、
[しかし]汝たちを憐れんで、実に[私は施しを]受け取ることにする」と。
[信者からより多くの施しを受ける]その点ばかりを心掛けていた[この比丘は]、
多くの法衣をも受け取り、多くの食べ物をも[受け取り、
…・・中略…・・病人の必需品の
[多くの]薬をも受け取ったのである。
同様に、
[これらの施し物を受け取る時、迷惑そうな]渋い顔・
しかめ面をする、騙す・
偽る・
嘘をついて人を迷わせる不法な行為をすることは、
これは、[出家修行者の]生活必需品の受用と称せられる
「故意に人を騙す基本的なこと(kuhana-vatthū)」と[言われる]。
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