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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 7/14
(Sīla-niddessa) 
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 7/14
        
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「遠回しの語」(Parikathā)とは、それを得るために、次のように[間接的に]繰り返しの話をすることである。
《嘘をついて人を迷わせるの解釈》
『嘘をついて人を迷わせるの解釈』(Nippesikatā-niddesa)において、―「口汚く罵る」(akkosanā)とは、
[①盗人・②馬鹿・③阿呆・④ラクダ・⑤牡牛・⑥ロバ・⑦犯罪人・⑧畜生・⑨碌でなし・⑩地獄行きの]十の怒り罵る言葉
をもって「口汚く罵ること」(akkosana)である。
「あなどりさげすむ(=侮辱)」(Vanbhanā)とは、辱しめて話すこと
である。
「叱り責める(=叱責)」(Garahan)とは、「[お前は]信仰のない者である」などの表現をもって[相手の]過失
を取り挙げては[非難すること]である。
「さげすんで笑う(=冷笑)」(Ukkhepanā)とは、「この場合、このことを語ることなかれ!」という言葉によって
[相手を]冷笑することである。全ての面から証拠と共に理由の裏付けを取ってから冷笑することが、極めてさげすんで
笑う(=極冷笑)である。あるいは又、施さない者を見ては、「あ~、物を施す人よ!」と、その如く[反対の言葉を]
投げて行くことが、さげすんで笑う(=冷笑)である。「あ~、物を施す偉大な人よ!」と、その如く冷笑することが、
極めてさげすんで笑う(=極冷笑)である。
「馬鹿にして笑う(=嘲笑)」(Khipana)とは、「[布施をしないなど]その
ような行為を行なう者は、[来世において]どのような種類の生き物に生まれ変わるのであろうか」と、その如くに軽蔑
してからかうことである。「極めて馬鹿にして笑う(=極嘲笑)」(Sankhipanā)とは、「これは施さないと、常に誰に対
しても『無い』という言葉を吐く[信者]」、その如くの[信者を]極めて馬鹿にして笑う(=極嘲笑)ことである。
「悪口」(Pāpanā)とは、施しをしない者に対して悪い評判を[立てる]、あるいは悪く言うことである。[その施しを
しない者に対して]あらゆる点から「けなすこと」が、極めて悪口を言う(sampāpanā)である。(※ 註:Dhp-U.p356、
註②「誹謗」参考)
「根拠のないことを言って他人の名誉を傷付けて奪う」(Avaṇahāritā)とは、このような[悪い評判を広めれば、あの
信者は]悪い評判を恐れて、以後、私に布施をするであろうと見て、家から家へ、村から村へ、地方から地方へと、
[その信者について]悪く言いふらすことである。
「陰口を言う」(Parapiṭṭhimaṁsikatvā)とは、[その信者の]前では
甘い言葉を言いながら、後で悪評を流すことである。これは、実に面と向かって[信者を]見ることが出来ない[比丘]が、
その後ろを向いている[信者]の背中の肉を喰うが如く(=噉他背肉)である。それ故に「陰口を言う」と言われる。
「これを、嘘をついて人を迷わせると言う」(Ayaṁ vuccati nippesikatā)とは、これは、[ちょうど]竹の切れ端で
塗り薬を[塗る]が如く、他人の徳を[事実無根の悪い評判を広めて]塗り潰すことである。あるいは幾種類の香料を
[器の中で]摺り潰して香りを求めるが如く、他人の徳を[事実無根の悪評を流して]打ち砕く、それによって利得を求める。
それ故に、「人を惑わせる」と言われる。
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