ホーム>清浄道論>清浄道論1-3 第1品 戒の解釈 12/14
清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 12/14
(Sīla-niddessa)
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清浄道論 Visuddhimagga 1-3
戒の解釈 12/14
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《第一の戒め 五種類》④無執取遍浄戒
「無執取の遍浄戒」(aparāmaṭṭhapārisuddhisīla)とは、どのようなものか? [預流道聖者・預流果聖者・
一来道聖者・一来果聖者・不還道聖者・不還果聖者・阿羅漢道聖者の]七つの有学[聖者]の[戒条(=学処)]、
これは、無執取の遍浄戒となる。
《第一の戒め 五種類》⑤安息遍浄戒
「安息の遍浄戒」(paṭippassaddhipārisuddhisīla)とは、どのようなものか?
如来(=仏陀)の弟子である
[一切の煩悩を滅尽させた]漏尽者(註1)、[独学で悟りを得た]辟支佛(=縁覚,註2)、[如実に来れる]如来、・阿羅漢・
正自覚者の[戒条(=学処)は]、これは、安息の遍浄戒となる。
(※註1:Dhp-U.p119、註⑤、※註2:Dhp-U.p14、註①参考)
その中で、具足戒を受けていない者の戒めは、数に制限があるが故に、制限の遍浄戒となると理解すべきである。「既に
具足戒を受け保つ者の戒め」とは、- 九百億と、十八億と、五百万と、更に又、三万六千がある。
これらの[身・口による悪行を]防止する戒律(=律)は、正自覚者(=仏陀)によりて明らかにされたものである。[それらは]
律蔵の防護における中略の門で説明されたいろいろな戒条(=学)である。
その如く、数に制限があると雖も、残りなく[戒律を
]受けて心に入れて忘れずに覚えておく状態、及び利得・名声・親戚・手足・生命による制限状態を見ずに無制限の遍浄戒が
あると言われる。 [ちょうど]長い間ジャングルに住み、マンゴーを食べていたマハーティッサ長老の戒めの如くである。
その如くに、この尊者は、-「大切な手足のためには財産を捨てるべきである、生命を守るためには手足を捨てるべきである。
[輪廻からの解脱を目指して縁起の道理・四聖諦八正道という]法(dhamma)を随念する人々は、手足も財産も生命も一切を捨て
るべきである」と。
この善人(=仏陀)の[教えを]随念することを捨てず、命を[失う]疑いがあると雖も、戒条(=学処)に違犯
しないで、実にその無制限の遍浄戒によりて[生命の危険な状態にある]後姿の男性信者は、阿羅漢果に到達したのである。
[そして彼は次の]如く言った。- 「父親[の助け]に非ず、母親[の助け]に非ず、親戚[の助け]に非ず、縁者[の助け]に非ず。
[自ら]その如くに[止の修習・観の修習を重ねて、自己の内外の現象は無常・苦・無我であると随観して、涅槃を探し求めて
追求して、煩悩を殺しながら聖道作用において苦諦・集諦・滅諦・道諦を観察するという]為すべきことを為すのは、[自ら
輪廻からの解脱を目指して]戒めを有する者であるからである。
[無常・苦・無我・不浄である自己の身体と心や世間的な幸福
などに対して以前のような喜びや充実感あるいは願望がなくなり、不快感や倦怠感という]厭離心(saṁvega-citta)が生じて、
正しい法の道理に従がってしっかり[真理を]悟った[生命の危険がある]後姿の寂静の人は、阿羅漢果の扉を開いたのであると。
善良なる凡夫の戒めは、[①殺さず・②盗まず・③邪淫せず・④嘘をつかず・⑤酒を飲まずの在家の五戒という]具足[戒]を受けて
以来、[止の修習と観の修習に励み、涅槃を探し求め追求して、煩悩を殺し続けてきた、ちょうど]善く洗い浄めて生まれた
宝石の如く、あるいは善く[研磨]作業がなされた黄金の如く、極めて遍く[心が]清められているが故に、心に僅かに生じる
[煩悩の]垢さえも無くなり、[それが]、阿羅漢果を得るための直接因である。それ故に、円満なる遍浄[戒]と言われる。
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